セカンドオピニオンへ① 〜家族〜
半年後のセカンドオピニオン。
その日に向けて、
までの経緯をできるだけわかりやすく
まとめておこうとワードにちょこちょこ書き出し始めた。
数週間後、電話があり
「予約いただいていたセカンドオピニオンですが、早めにご案内できそうです。
○月○日、来ることはできますか?」
やった!
「はい、もちろん伺います!
半年待たなくちゃいけないと思ってたので、
こんなに早く伺えることになるなんて、
すごくうれしいです!
ご連絡頂いて、ありがとうございます😊」
うれしくてちょっと饒舌になり
声のトーンも上がる。
「以前のお電話で、少しでも早く予約が
あいたら、すぐでも来たいとおっしゃっていたので、キャンセルがでたので、すぐご連絡しました^_^ラッキーでしたね!」
きっと、私の言い方がサラッと言ったつもりが、切実だったのかも(笑)
私の一言を覚えてくださっていて、
ご連絡くださったことに感謝。
半年後が、1か月後(こんな早くなることはまずないことらしいけど)になり、
症状まとめも力が入る。
限られた時間で、聞きたいことを簡潔に聞こう!
そして、
その日がやってきた。
夫と共に新幹線に乗り込む。
少し緊張してるのか朝早いのに眠れない。
病院につき、待合室には娘がにっこり待っていてくれた。
その後、息子もやってきた。
事情を話したら上司が快く、行っておいでと言ってくださり、半休をとってきてくれた。
家族に囲まれ、涙が出そうになる。
心配かけてしまって、ごめんなぁ。
パーキンソン病だと診断され
子供たちにそれを告げた時、
東京で一人暮らししている大学生の娘は
電話越しに、泣いているのがわかった。
乳がんを伝えた時は
「手術したら治るんでしょ、大丈夫だよ!」
と、動揺を隠して明るくいってくれた娘。
その娘が泣いていた。
悟られまいと押し殺してたのが伝わり、
その様子に私が泣けた。
アメリカから帰国して東京で就職したばかりの息子は、乳がんの時と同じく冷静なふりをしてた。
後で知ったことだけど、夫が子供たちにラインしてくれていた。
「お母さんから聞いた通り、パーキンソンの可能性が高い様です。おそらくそうでしょう。かと言って、合う薬を見つけて飲み続ければ、普通の生活がおくれる病気です。でも、難病指定されている病気でもあります。
それよりも、乳癌手術の直後という事のショックの方が大きいかもしれないね。正に、「弱り目に祟り目」だね。
もともと器用で何でもこなせる人なのに、今の不器用な自分が許せないのでしょう。それには相当落ち込んでます。
2人にお願いがあります。今後も、全面的にお母さんを守りますので、安心してほしいけど不安な気持ち、不器用な動きだけは、理解してあげて、温かく見守ってあげてくださいね。今までの様に、気軽にお母さんにお願い事も難しくなると思います。
その分、2人に悩みや問題があったら、お父さんに気軽にどんどん相談してね。
こういう時こそ、家族力を合わせて、乗り切ろうね。何年か後に、素晴らしい治療法が見つかり、笑って話せるその時まで、皆んなで協力していこうね。」
セカンドオピニオンの様子を書こうと思ってたけど、その日の待合室の家族の様子を思い出したら、子供たちがこの病気を知った時のことが鮮明に蘇り、記しておきたいと思った。
このメッセージへの
息子からの返事は次回に。。